むかしむかし。おおむかし。これは、コメットが記憶を失い、閉じ込められる前のお話。
コメットは穏やかで、心優しい魔法使いだった。
コメットは仲間たちとセカイの様々な生き物の声を聞いてまわる旅をしていた。真面目なコメットはいつも腰を低くして、生きものに寄り添い、ひとつひとつの生きものの心を包み込んでいた。
勉強好きな旅の仲間、アルコンスィエルはコメットから魔法を教わっていた。バーミリオンの瞳の「イフクーン」もその旅に同行していた。
ある日の昼下がり。コメットは、野原に座ってのびのびとしていた。草花がそよ風に吹かれて揺れている。小さな白色の蕾に手をかざすと、嬉しそうに咲いた。蝶に指先を差し出すと、甘えるようにふわふわと飛び、仲間を連れてきた。
自然と語り合いながら、空を眺めているコメットの元へ、アルコンスィエルが近付いてきた。
アルコンスィエル「コメット先生♪空を眺めて…悩みごとか?」
アルコンスィエルはワクワクした表情で、コメットの隣に腰をおろした。
コメット「ああ。アルコンスィエル。その通り。ボクは物思いにふけるのが好きなんだ。でも、アルコンスィエルのバーミリオンとサファイアブルーの美しい瞳を見たら、何を悩んでいたのか忘れてしまったよ。その瞳は、美しいだけではない、誠実で心優しい魅力も秘めている。素敵だね」
コメットは生きものを観察して褒めることが好きだが、時々口説いていると勘違いされることもある。万物を愛しているコメットに、そのつもりはないのだが…。
アルコンスィエル「はいはい、わたしが可愛いのは、あたりまえのことだ。それより、この分厚い本をみてくれ!この魔法陣について、教えてほしいのだが〜」
コメット「見せてごらん。一緒に読みといて、魔法を練習してみよう…ん?」
視線を感じてコメットが顔をあげると…小さな旅の仲間が木の後ろに隠れていた。アルコンスィエルが大切に育てている息子だ。
コメット「ふふふ、隠れてないでおいでよ」
アルコンスィエル「わたしたちと一緒に過ごしたいけれど、真面目で難しい話は聞きたくないのだな?」
もじもじしている小さな生き物の背中を、数歩離れた所から見守っていた大きな生き物が優しく押した。大きな生き物は、アルコンスィエルのパートナー「コウゲイ」だ。
アルコンスィエル「イフクン♪コウもおいで〜♪」
コメット「隣で昼寝をしていればいいんだよ、イフクン。難しく考えないで、一緒にいるだけでいいんだ」
駆け寄って来た生き物たちと笑い合った。爽やかな空気の中、勉強会がはじまった。お菓子とお茶を持った旅の仲間もやってきた。どこからか楽しそうな歌声が聞こえてくる。
ーーー
イフは、万物を愛するコメットに恋をしていた。
時が流れて、イフとコメットは「恋人」になった。しかし日常は歪んでいた。何もかもが変わってしまった。もう、元にはもどれない。
ーーー
コメットがイフに最後に伝えた言葉。
「 」
その言葉はイフの心の中に吹く風の色を変えた。コメットのヒミツを知ってしまったイフは、心の底から恐れた。何もかもを恐れた。その恐怖はイフを行動させた。イフは突き動かされていた。イフの目的、金魚八の真相を知っているのはイフだけだ。イフはこれまでも、今も、これからも、その言葉に追われている。
ーーー
ある日。イフはコメットの心と力を手に入れて、思い通りにするために、コメットに魔法の杖の切っ先を向けて脅した。
コメット「これ以上、悲しい想いをさせないでくれ、ああ、イフ…。イフ。イフ。」
イフはコメットの言葉を無視し、魔力が尽きるまで魔法で攻撃した。その後は杖ごと振り下ろして体に突き刺した。
アルコンスィエル「やめろ!!イフ…ぅう、やめるんだ!!イフだってこんなこと望まないだろう!!」
アルコンスィエルはイフに、杖の切っ先を向けた。イフは気にとめず、アルコンスィエルを地面にはね飛ばした。アルコンスィエルは頭をぶつけて倒れた。
コウゲイが涙を流しながらアルコンスィエルの体を起こし、回復魔法を使ったが…アルコンスィエルは重症をおっており、自力で立ち上がれなかった。
コメットは「ボクは大丈夫」と微笑んだ。されるがまま、辛そうに、悲しそうに微笑んだ。
愛してる。愛してる。愛してる。つぶやき続けるイフ。
イフは変わってしまった。愛してる。愛してる。愛してる。…優しい言葉と酷い言葉をぶつけて、コメットの心と体を傷付け続けた。
まだ足りない…まだ。まだ。
力を求めたイフは金魚八を組織した。残酷な方法で、様々な宇宙から強い魔法使いを集めた。カチョロもそのひとつだった。
金魚八は多くの生きものを悲しませた。
生き物たちは金魚八を恐れて泣き、イフをほめたたえたり、たからものを差し出したりした。
愛してる。愛してる。愛してる。
はりつけにし、見世物の様にし、力を加えて痛めつけ、コメットの心と体を何度も壊した。顔を上げるとまた壊して、言葉を発するとまた壊して、繰り返した。
愛してる。愛してる。愛してる。
そして、心を暗闇に沈めたコメットは、自らの記憶を手放してしまった。セカイを司る魔法使いであったことも、恋人だったイフの存在も、何もかもを忘れてしまった。そしてイフはコメットを狭い建物に閉じ込めた。
イフはコメットを愛していた、愛していたのに…愛しきれなかったのだ。受け入れられなかった。一番大きな感情は愛ではなく、「畏怖」だったから。
こうするしか、なかったんだ。
ーーー
イフ(愛と痛みに表情を歪ませ、かわいそうな声で鳴き、それでもワタクシを愛していると微笑んでいたコメット…セカイを司る魔法使いという存在理由は、コメットにとっては重過ぎたのです。
そしてコメットの存在はこのセカイにとって重すぎるのです。
コメットは自由を奪い閉じ込められた。しかし全てを忘れたコメットは、明日を楽しみにして、笑っている。もう痛い思いをすることも、苦しむことはない。
これこそが、コメットにとっての幸せなのです。
ワタクシは今日も、幸せをコメットに押し付けて。
押し付けて。押し付けて。
救った気になっている。
ワタクシは酷い生き物でしょう?
でも仕方ないのですよ、このセカイのためですから。)
ーーー
コメットが記憶を失う前、最後にのこした恐ろしい言葉「 」は、今日もイフの心に根を張っている。敷かれたレールを一歩一歩、進んでいく。今日も明日も、明後日も。過去も未来も。孤独が続いていた。
ーーー