【小説】星のはなびら・ノベルゲーム番外編「エメラルドグリーンを忘れた日」【かがや】

はじめに

こちらは、ノベルゲームに出てくるキャラ「かがや」が主人公の短編小説です。「たまゆらのディネット」では描ききれずにカットした設定などを盛り込みました。

・ゲーム 【たまゆらのディネット】

・短編小説 【ソクミタの影】

上記の作品を知っていないと、お話が全然わからない内容となっております

荒花ぬぬマニアの方向けの番外編となりますが、ついてこられる方はぜひついてきてください! よろしくお願いします

(暗く残酷な表現嫌な気持ちになる表現等を含みます。作品をお読みになる前に以下の注意事項を必ずご確認ください)

先に読んでいただきたい、短編小説 とノベルゲーム

・短編小説 【ソクミタの影】

元ころし屋の悪人「ロウソク」と、警察官「ソクミタ」の物語。ロウソクはソクミタに片思いしていたが、悪の衝動を抑えきれずに殺めてしまう。許されない過去と、変われない自分。悪が蔓延る国、「裏社会」を揺るがす、歪んだ恋の結末は…。(20分くらいで読み終わるくらいのボリューム)

ノベルゲーム【たまゆらのディネット】

ここはどこなのか、自分は何者なのか、全て忘れてしまった状態で目覚めた男「かがや」。寝覚めた場所は、どこか懐かしい雰囲気漂うアトリエだった。目の前には見知らぬ男「でぃねっと」がいる。でぃねっとは、かがやに首輪をつけ、紐で繋いでいた。走り出したいほどの恐怖ではない…。自分(かがや)は何者なのか、でぃねっととかがやの関係は…?明かされる、怖くて優しいストーリー。結末は全部で2種類あります(TrueendとBadend)

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星のはなびら・ノベルゲーム番外編「エメラルドグリーンを忘れた日」

あらすじ

俺は今、幼い男の子「かがや」を抱えて、ころし屋「ロウソク」から逃げていた。このまま人生が終われば、かがやの白い肌も、ひび割れたガラス玉のような、エメラルドグリーンの瞳も、眺めることが出来なくなるのだろうか。

約8000文字、15分くらいで読み終わります♪

本編

タッタッタッ

激しい呼吸の音と、乱れたリズムの足音が、静かな暗闇を振動させている。懸命に足を動かしているはずなのに、地面を蹴っている感覚がしない、まるで体が浮かんでいるようだ。恐怖に狂わされている、もう冷静に物事を考えることはできない。

俺は今、ころし屋「ロウソク」から逃げている。背中に感じる銃口の気配、不気味な視線。彼はその道のプロだ。俺の頭と脚では、逃げられやしないだろう。この国で、この国に染まって生きてきた俺なんだ、それくらいわかっているのに。それでも簡単に受け入れられるものじゃないんだ、死への恐怖なんてものは。

俺は知りすぎた、好きにやりすぎた、彼らの領域に足を踏み入れてしまった。そして、ロウソクを操る裏社会のボス「ときめき」にとって、邪魔な存在に成り果ててしまった。

いくら後悔してももう遅い。結局は、俺は好奇心、欲望には勝てなかった。この状況を、恨めしく思う。それでも、これまでの自分の行動を考えてみれば、必然であったのではないかとも思う。

上手く走ることができないのは、恐怖による体の震えだけが原因ではないだろう、俺は今幼い男の子を抱えて走っている。

男の子、「かがや」が身につけている、白いレースで装飾されたクラシカルなデザインのドール服が、ひらひらと揺れる、汚い風に吹かれている。買ったばかりの拘りの衣装が汚れてしまうが、今だけはどうしようもない。

このまま人生が終われば、かがやの白い肌も、ひび割れたガラス玉のような、エメラルドグリーンの瞳も、眺めることが出来なくなるのだろうか。

かがやは俺の最高傑作なんだ。可憐で理想的な容姿をしている。同じ歳頃の幼子よりも、話すのが苦手で、感情を表現するのは苦手で、乱れがなく落ち着いている。だから大切に、整え育ててきた。宝物のかがやを手放すことだけは、したくないんだ。したくないのに。

かがやは俺の「泣いてはいけない、声をだしてもいけない」という言葉を、真摯に守っている。

「…クソッ、行き止まりか!!」

俺は立ち止まる。頭の中を空っぽにして走っていたからか。月に照らされて見えたのは、断崖だった。波が岩にぶつかる音が聞こえた。この高さから冬の海へと落ちてしまえば、この身は持たないだろう。簡単に潰れてしまうだろう。

振り返る。ロウソクの気配が近づいてくる。彼は、俺が行き止まりへ向かって走っていることに気がついていたのか、肩を震わせて、小さく笑っている。

「追いかけっこは楽しかったが、そろそろ走り疲れてしまった。もうわかっただろう?逃げられやしないんだって。特別に選ばせてやるよ。そこから飛び降りて岩に貫かれてしぬか、俺の銃弾に貫かれてしぬか」

黙れ!!来るな、くるな…」

「ああ、思い出した、ときめきから、子どもはヤるなって言われていたんだ。お前が抱えているチビのことだ。俺には子どもを弄る趣味は無いしな。お前と違って。ほら、俺に預けておけ、名前くらいは聞いてやるからさ」

「渡すものか…」

「はは、お前は一度、自分の状況を冷静に考えてみた方がいい」

「うるさい、この子は…

この子は

俺だけのものなんだ!!!

誰にもわたさない

わたすくらいなら…

俺はこの子を海に…!!!

「…お前、何をするつもりだ!?

やめろ!!!

…………

たからものを海に投げ出した瞬間、破裂音が響き俺の体は貫かれた。

……

ぶくぶく

沈む

沈む

溺れる

溺れる

僕の、泡に包まれた鳴き声が轟いた。

死の匂いを振り払い、感情に身を任せた。

骨を砕こうとする激しい波を堪えて、掴んだ。

水面に向かいたい、岩壁に足をかけた。

星空に向かいたい、手を伸ばした。

青を帯びた肉体で、感情を突き刺して。

いっぽ、いっぽ。

いっぽ、いっぽ。

岩壁を登りきると、背中に穴を開けられたお父さんが横たわっていた。お父さん、大丈夫?小さく呟いてみる。反応はなかった。いつも優しいお父さんが、僕を無視するなんて。武器を持った怖い人はもう、どこにもいなくなっていた。

何もわからない。どこに帰るべきなのか、どこから来たのかもわからない。自分のことも、お父さんのことも、なにも分からない。

お父さんが目を覚ますのを、待ってみようか。座り込み、時間と現実を忘れて、滅多に見られなかった星空を眺めてみる。そうだ、僕は、こんなことをしてみたかったんだ。日が昇って、空が照らされていく。お父さんが趣味で描いていた絵画よりも、ずっと綺麗で鮮やかだ。お父さんは絵が下手だったんだな。

心が満たされていく。しかし、父さんが目を覚ますのを待つのは、想像以上に退屈だった。僕はお父さんの胸ポケットに入っている、シャープペンシルを取り出した。探偵をしているお父さんがいつも、かっこよく使っていたものだ。憧れていたけれど、1度も触らせてもらえなかったそれは、想像していたよりも、ずっと重たかった。

イタズラな気持ちでそれを握りしめ、裸足で歩き出した。今は、今だけは、お父さんに迷惑をかけてみたいと思った。ワクワクが背中を押す。もっと鮮やかな、眩しい景色を見てみたい。

遠くに見えていた建物が、賑わいが、少しづつ近くなって。レンガ道をぺたぺた歩いた。色とりどりのお店の看板が、楽しそうに笑っている。羨ましい、美味しそうなにおいもする。

可愛いカフェのショーケースが見えた。飾られている大きなチョコレートケーキを食べたいな。温かいミルクティーもあるのだろうか。お願いすれば、ひとくちくらい、もらえるのだろうか。精一杯背伸びをして、ドアノブを握って、勇気をだしてお店の中に入った。

その瞬間

視線が突き刺さった。

時間が凍えてかたまり、

辺りはモノクロの感情に包まれた。

「こどもの化け物だ!」「なんて恐ろしい顔なんだ!」「悪霊だ!」

甘いケーキとお茶を楽しんでいたその場にいた全員が、楽しさを忘れ、氷の様な真っ黒の瞳を向けた。悲鳴をあげ、声と体を震わせて、押しのけて逃げ始めた。

いったい、何が起きているのか。

直ぐに気がついた。皆、僕を怖がっているようだった。僕から、逃げているようだった。どうして?お父さんはいつも僕を美しいと言ってくれていたのに…。

ガシャン。痛い。…ティーカップを投げつけられ、僕は両手で顔を覆った。

ごめんなさい。何もわからないまま、謝っていた。誰にも届かない、小さな小さな声で。誰にも拭ってもらえない、涙を流して。

寂しくて

苦しい。

…………

酷い言葉を言われても、何も言い返せなかった。強引に腕を引かれる痛みも我慢した。

…あの子はどこから来たんだ?可哀想な子どもだ。あんな恐ろしい顔…きっと、呪われてしまったんだ。あの子をどうする?どうしようか。恐ろしいから消してしまおうか。それはやめておいた方がいい。消してしまえば、呪われてしまうかもしれない。じゃあ、どうする?君が引き取るか?まさか、あの子の面倒なんて、誰もみられないよ。だってあの子は。

だってあのこは。

…大人たちは話し合い、僕を、町はずれの小さな家に閉じ込めることに決めた。

…………

小さな家。窓はない。埃っぽい。部屋がひとつと、小さな物置があるだけだ。物置には大きな木箱がひとつあり、その中には、オモチャとクレヨン、画用紙が入っていた。昔、秘密の牢屋として使われていた家らしい。僕と一緒に閉じ込められた、このオモチャ達も、僕と同じ寂しさを感じているのだろうか。

ポケットに入れていた、お父さんのシャープペンシルを握りしめた。お父さんに会いたい。会いたいのに…なんとなく、お父さんは助けには来てくれないような、そんな気がしていた。

入口の扉を開けようとしても、届かない、背伸びをしても難しかった。僕が大人だったら、背が高かったら、開けられたのだろうか。守りたいものを守られたのだろうか。僕は手をギュッと握りしめ、大人になりたいと、心の中の流れ星にお願いした。

寂しさも退屈も忘れてしまいたくなって、手放してしまいたくなって、僕は眠ることにした。僕は今、どんな顔をしているのだろうか。僕は今、笑えているのだろうか。夢の中でなら、笑ってくれるのだろうか。

…………

バン!ドン!バン!…大きな音がして、目が覚めた。入口の扉を、誰かが蹴っているようだ。

頭が働かない。どれくらい眠っていたのだろう…起き上がると、視線が高くなっていて、ふらふらとした。手のひらを見ると、大人の手のひらに変わっていた。お父さんがくれた服も、体と一緒に大きくなったようだ。

扉を蹴られた衝撃で、かかっていた南京錠が外れて転がる。若い男の人が「誰かいるのか!」と、大きな声を出しながら入ってきた。僕は思わず、シーツを被って隠れようとした。が、大きな体を隠しきるのは難しく、男の人はすぐに近付いてきた。男の人が口を開く。

「…あなたは誰だ?」と尋ねられ、仕方なく顔を上げる…僕の顔を見た男の人は、目を丸くして驚き、1歩後ろにさがった。しかし男の人は、叫んだり逃げ出そうとはしなかった。痛いことも酷いこともしなかった。僕に敵意や悪意がないことを確認し、落ち着いた声で、話しかけてきた。

「わたしはソクミタ。この国の警察官だ。とある事件について調べている。この家の噂を聞いて、事実を確認するためにやってきた」

事件?噂?なんの事だろう。僕は首を傾げた。

「事件については、…そうだな、誘拐事件、とだけ言っておこうか。犯人が1年ほど前に行方不明になって、捜査は終了してしまったのだが。諦めきれずにな…彼の素性や真相を今も追っているんだ。

噂については、簡潔に言うと、町はずれの小さな家に、ドール服を着たおばけが住んでいる、といった内容だ。

ただの噂話だと思っていたが…聞き込みを行うと、1年ほど前に実際におばけを閉じ込めたと証言する奴が出てきたんだ。

誘拐事件の犯人は行方不明になる直前に、ドール服を購入していた。事件と噂に関連性はないだろうと思いながらも、念の為に様子を見に来たというわけだ。

その様子だと、やはり、関連性は無さそうだな。あなたは確かにドール服を着ているが…犯人が購入したドール服は、小さな子どもにしか着られないサイズだった。…はぁ、服装の趣味と顔の形のせいで、おばけだと言われてしまうだなんて、酷い話だ。噂好きな奴は、もっと思いやりのある行動を心がけるべきだ。

大丈夫か?震えているな…。外からいくら呼びかけても反応がなかったから、心配になって、扉を強引に開けてしまったんだ。大きな音を出したり、鍵を壊したことは反省している。すまなかった、驚かせてしまったな。鍵は今日中に修理する。

では、わたしは帰るが…何か言っておきたいこと、困ったことはないか?」

何かを伝えなければ。何を伝えたいのか。

「あわわ…ぇと、ぁ…」

自分を表現することは、いつだって難しい。口をパクパクと動かした。それでも伝えたい、ありのままを、伝えたい!

僕は慌ててシャープペンシルを取り出し、画用紙を持ってきた。ソクミタさんは僕の様子を見つめていた。床に座り込み、記憶をかき混ぜながら、手を動かす。一生懸命描いていく。

あの夜の、あの場面を。

僕とお父さん。優しくて大好きなお父さん。

お父さんを追いかける、武器を持った怖い人。

顔も覚えてる。服装も、会話の内容も。

全部、覚えてる。覚えていないといけない気がしていたんだ。

背後に迫る崖。星空。月の形。海が暴れている音。僕だけ、暗闇に落っこちた。お父さんの背中には穴が開いていた。

描き足りない。感情のままに、画用紙を何枚も繋げた、絵はどんどん広がっていく。

カフェで見たチョコケーキを描いた時、僕の心の糸は切れた。突然涙が溢れてきて、体が震え出した。この寂しさはどこからくるのだろう。この恐ろしさはどこからくるのだろう。

「もういい、もういいんだ。あなたは何も悪くないんだ」

ソクミタさんが僕を抱きしめた。僕の手から、シャープペンシルが滑り落ちた。ソクミタさんの声は震えていた、その震えから、弾ける勇気と、優しさ、強さを感じた。

「ねぇ、ソクミタさん。僕はどうすればいいの」

「あなたはどうしたい?」

「…ぼくは、僕は、しにたくない

ひとりで、生きていきたい」

ソクミタさんは僕と向き合い、悲しそうにほほ笑んだ。

「人は皆、寂しがり屋なんだ、ひとりぼっちでは生きていけない。行くところがないのなら、わたしと、わたしの家に帰ろう」

「…でも、もう、お父さんはいらない。僕はここに残りたい」

「そうか…それでもいい。必要とされた時には、いつでも駆けつけよう」

「あのね…今、すごく怖い気持ちなんだ。きっと皆は悪くないんだ。皆もこの世界も、自由で鮮やかで、美しくて優しいものなんだ。だから、全部僕が悪くって、僕はこの世界に嫌われてしまったんだなって…」

「大丈夫。この世界は、皆を平等に愛しているんだ。神は、いたいけなあなたを嫌ったりはしない。あなたはこの世界に必要な存在なんだ、それだけはよく覚えていてほしい」

「…、ソクミタさんは僕が怖くないの?」

「…そうみえるか?ふふ、恐怖なら、いつも感じているよ。あなたを守ることができない無力な自分を、失敗した自分を想像して、震えている」

「自分が、こわいの…?」

「ああ、そうだ。怖さを乗り越えるのは大変なことだ。あなたにも想像できるだろう?…救うこと、立ち向かうこと、失敗を恐れないこと、自分を信じること、それには多大な勇気が必要なんだ。

誰かのために強く優しくありたいと、自分らしくありたいと、諦めたくないと、願って願って、願い尽くすからこそ、恐怖よりも大きな勇気を振り絞ることができるんだ。遠回りで不器用だと思うかもしれないが、わたしはそんな自分のことも好きなんだ。

強さと弱さは同時に存在する、それが自然なんだ。だから、自分自身の、負の感情を否定する必要はないんだよ。恐れ、悲しみ恨み、不安怒り、自分を呪いたくなる気持ち、それらは人間である証なんだ。自分らしさなんだ。

自分をころす必要はない。扉を閉ざす必要もない。逃げることは悪いことじゃない。あなたが生きやすいような生き方を決めればいい。わたしはあなたの、これからの選択を否定しない。

大丈夫、いつかあなたも、強く優しい笑顔で、誰かを抱きしめてあげられるようになるさ。

だからわたしを信じてほしい。わたしはこの国を変えてみせる。戦い続ける。ぜったいに、晴らして、救ってみせるから」

ソクミタさんの言葉が心に染みていく、体を包み込んでいく。溢れてくる、この感情はきっと、憧れだろう。

ソクミタさんに伝えたくて一生懸命描いた、僕の絵をもう一度見る。描いて、描いて、気がついた。僕はあの時、崖から落ちて、しんでしまったんだって。恐ろしいおばけになってしまったんだって。理解した、理解しただけで、受け止められやしないけれど。

「自分の姿を見たい」とソクミタさんに言えば、少し考えてから「わかった、待っていろ」と呟いて、家から出ていった。

しばらく待っていると、ソクミタさんが手頃なサイズの台車を押してやってきた。お父さんが使っていた道具をもってきてくれたらしい。

「このプレゼントはわたしとあなたの秘密だ、…表向きでは紛失したことにするからな。服が随分汚れてしまっている様子だったから、着替えも買ってきた。地味な服しかなかったが、我慢してくれ。それから不便だろうから、電気と水が使えるように手配もしておこう」

洋服と、様々な道具を手に取る…画材もあった。宝石のついた鏡も見つけた。それを見る勇気はまだでない。

ソクミタさんは、南京錠を新しいものに付け替え、扉の修理をはじめた。その作業が終わると同時に、腰につけている通信機が鳴った。

「…そろそろいかなければ。あなたのおかげで、ロウソクの尻尾を掴めた。わたしは戦いにいってくる」。ソクミタさんは敬礼した後、背中を向けてどこかへと走っていった。

残された僕はもう一度鏡を手に取った。

…。

鏡を見る勇気はあるか。

現実を見る勇気はあるか。

絶望を見る勇気はあるか。

…勇気なんて、あるわけがない。今も状況を理解出来たというだけで、その悲しみを受け止められてはいないんだ。感情を動かすことが怖いんだ、実感したくないんだ。

この絶望を受け止めたら、僕の幼い心は耐えきれないだろう。壊れてしまうだろう。そして、僕は遠いところへ逃げてしまうだろう。

…それでも、いいんだ。

だって、ソクミタさんが言ってくれたんだ、『逃げることは悪いことじゃない。あなたが生きやすいような生き方を決めればいい。わたしはあなたの、これからの選択を否定しない』と。

絶望して泣いて、逃げたっていいんだ。自分を呪いたくなる気持ちだって、人間である証なんだ。強さも優しさも勇気も、今はどこにもないけれど、この絶望はきっと、僕を僕らしく支えてくれる。

そう願って、僕は自分の顔を見た。

…………

愛されたい。愛されたい。

自由なんてなくていい。

ただ、愛されてみたかったんだ。

……

僕は悲しい現実に耐えきれず、自分の記憶を消してしまった。

そして、自分の顔を認識できなくなる呪いをかけた。

何もかもがわからなくなり、うろうろとしていると、ふと頭の中に、誰かの声が響いた。

(…遠回りで不器用だと思うかもしれないが、わたしはそんな自分のことも好きなんだ。強さと弱さは同時に存在する、きっとそれが自然なんだ。)

…思いついたその言葉を、口に出してみる。

「遠回りで不器用だと思うかもしれないが、わたしはそんな自分のことも好きなんだ。強さと弱さは同時に存在する、きっとそれが自然なんだ。」

その言葉を意識すると、安心できた。憧れているみたいに、話し方も真似することにした。僕は…いや、わたしは、私は散らばっていた画材を手に取った。ひとりで、口と筆を動かしはじめた。

「恐れ、悲しみ恨み、不安怒り、自分を呪いたくなる気持ち、それらは人間である証なんだ。自分らしさなんだ。

その呪いを表現しつづけよう。

私はここにいる

私はここにいるから」

……

ひたむきに孤独に。

怪異は、呪いの絵を描き続けた。

何十年、時が過ぎていく…。

…………

………

草花が広がっている。大きな木の下、私たちは墓石に花を手向けていた。旅の途中に立ち寄った美しいこの丘。これから私たちは、筆を手に取り、爽やかな風を描きはじめる予定だ。

「このお墓に眠っている人はどんな人なの?お墓の場所を教えてくれた人は、裏社会の空気を入れかえた名の知れた警察官だって言っていたけれど…」

白い半袖のシャツ、お気に入りの麦わら帽子を被ったでぃねっとが、いつもよりもしおらしい様子で、私に尋ねた。

「…私にもよくわからないんだ。この人のことを思い出したのは、つい最近のことだから。朧気な記憶だが、お世話になった気がするんだ」

「会ったことある人なんだね」

「出来れば直接お礼を言いたかった。会って話してみたかったが。仕方がない、彼と出会ったのは、90年も前なんだ。私が絵を描き始めてから、もうそれほどたつのか…」

「でも、きっとこの人、喜んでるよ。お父さんとまた会えて、お礼を言ってもらえて」

「そうだといいな。

…さぁ、絵を描きはじめようか。この丘から見える景色は雄大だな、頑張って歩いてきたかいがあった。この鮮やかな景色を、でぃねっとはどんな風に描いてみせるのか…完成が楽しみだ」

「僕はお父さんの横顔を描くよ」

「せっかくここまで来たといのに、面白い冗談を言うじゃないか…」

でぃねっとは画材を広げながら、くすくすと、楽しそうに笑っている。その手には、使い古し、何度も修理したシャープペンシルが握られている。

「行きたい学校、決めたんだよ。隣の国にある、美術の名門校なんだ。受験しないと入学できないみたいだから、旅をしながらお勉強も頑張らないといけないなぁ。難しいところはお父さんから教えてもらうつもりだよ。でも、入学するには、すっごくお金がかかるみたいで…」

「金はいくら使ってもなくならないから、心配いらないが。…勉強は難しいんだ、私に聞いても何もわからないだろう。金の計算もまともに出来ない私では、でぃねっとの力になることはできないだろうな…。しかし、ん〜…私も人肌脱ぐしかないか。徹夜で勉強してみるか…ん〜…」

「僕、がんばるよ!」

その時、強い風が吹いて、でぃねっとの麦わら帽子が、小さな花びらと共にふわりと飛んでいった。大きな木の、小枝にひっかかっている。高身長の私たちが精一杯背伸びしても届かなかった。

「あの帽子、お気に入りだったのに。僕の身長がもっと高かったらよかったなぁ」

毎日牛乳飲んでるのになぁと呟いて。でぃねっとは、今にも泣いてしまいそうだった…。

「心の中の流れ星にお願いすれば、背、もっと伸びるかな?」

「ふふ…面白い発想だが、流れ星が仕事をするのを待ってはいられないな。私たちの手で、麦わら帽子をとりもどしてしまおうか」

わたしはでぃねっとの隣に、膝をついて屈んだ。

「でぃねっとを肩車するのは何年ぶりかな」

「お父さん、本気?うふふ、ありがとう」

…そして私たちは、麦わら帽子を何とか取り戻すことができた。

体力を使い果たして、草原に寝転んだ私。でぃねっとは想像以上に重たかった。なぜだか、笑いがとまらない。

青空を背に、取り戻した麦わら帽子を自慢げに被り直すでぃねっと。その笑顔は、太陽よりも何よりも鮮やかで、眩しかった。

END

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