星のはなびら六章「憔悴のナルシサス」

岩壁にぶつかる激しい波の音。潮の匂い。

ぼくはペンダントを握りしめて高い高い崖の上にたっていた。

ここから飛び降りれば、確実に命を危険に晒すことになる、そうすれば過去に飛べるかもしれない…。

期待して、ギリギリまで身を乗り出す。

あと一歩先にむむちゃんがいる気がする。むむちゃんが見える気がする。

この心臓の音は、暗い暗い恐怖ではなく明るい明るい期待に違いない。

失敗したら…?そのまま死んでしまったら…?

…その時はその時。

ぼくにはもう、生きる気力なんて残ってやしない。もうむむちゃんはいない、生きていたって、何も変わらないのだから。

さぁ、飛びだそう…としたその時

誰かが後ろからぼくの腕を掴んだ。驚いて振り返る。

そこには桜色の髪をした背の低い青年がいた。

「…やめとけ、過去に戻れるとかねぇから」

青年は、僕の腕を強く掴みなおして、落ち着いた声色で言った。全然気が付かなかった、いつの間に後ろにいたんだ…。

「…きみは?」

「俺はさくら。…その石の持ち主だ、ほら、あと2つ持ってるからこれが証拠な」

さくらと名乗ったその男の人は、ぼくの腕を掴んでいる手とは、反対の手をぱっと広げて見せてきた。全く同じ黄色の宝石が2つある。ぼくは目を丸くした。

「これは侵略者がこの星に落としていったヤバい石。別の星の力が込められてる。元々3つあったんだけど、天国から地上に降りちまったお前の母親が1つパクっていったんだ。でも親子の…大事なお守りなんだろ?無理に回収するのもなぁって思ってずっと様子みてたんだって…」

「え、じゃあきみが神様?」

「神でもなんでもいいけど、とりあえず過去に戻れるとかねぇから。心が弱くなったからって、自分を捨てる様なことはするなよ。

いいか?「時間」は正しく進んで流れていくものなんだ。それが宇宙の決まりごと。

それを「戻す」とか「過去を変える」とか、誰にも出来ないんだ。神にも出来やしないんだ。

それでも無理やり時間を操ろうとすると、「正しい時間が流れている真実の世界」から存在を消されてしまうんだ。正しい時間を失ったそいつは孤独に彷徨い続けることになる」

「過去に戻ろうとすれば存在ごと消されて、ひとりぼっちになるの…?じゃあこの石はなんなの?」

「そいつは「時間の宝石」。命の危険を感じた時に、時間を操って、時間をとめたり過去と未来を行き来することができる。でもさっき言ったみたいにんな都合のいいことできねぇから…。

実際の仕組みは「自分だけの新しい宇宙(せかい)を作りだす力」を持つ石だ。

でも作り出された世界はあくまで「正しい時間が流れている真実の世界」の偽物(コピー)なんだ。

本物の世界はひとつだけ。魂はひとつだけ。同じ人間なんていない、当たり前だろ?全てが偽物だからこそ、都合良く時間を操ったり、好きにできる仕組みなんだ。

俺も詳しくは知らねぇけど…偽物の証拠に、偽物の世界には神(俺のコピー)はいないらしい。

時間とか秩序を失った孤独な世界…そんなところ行っちまったら絶対後悔する。しかもその石は1度使うとその力からは逃れられなくなる。命の危険を感じるたびに新しい偽物の世界を作り出す…だから、死ぬこともできないし、二度と帰ってこられないぜ。

お前の母親は詳しく知らなかったんだ…。それはお前にやるからさ、その代わりただの宝石にしておけよ。ヒビ入れたら効果は無くなる。見えねぇくらいのヒビ入れて、使えなくしてやるよ。

…バカには幸せな石に見えるだろうけど、ろくでもねぇ拷問器具にしかなんねぇんだよ」

「…わかった。ありがとう、さくらさん。

でも、何だか安心した…ぼくはこの石を使うよ」

「はぁ?拷問器具っつったのが聞こえなかったのか?」

「聞こえたよ。でもさくらさんに…神様に、はっきり言ってしまいたい。

お母さんもむむちゃんも失って…ぼくは

こんな世界、大嫌いなんだよ。

心が弱くなったからって、自分を捨てる様なことはするなよ、なんてさ…ひどいよ。ぼくは弱くなんてない。きみみたいな人の心が分からない奴が神様だったんだって知って、この世界のこともっと嫌いになれた」

「…」

「自分だけの異世界に行けるなら嬉しいよ…。ぼくは神になって、ぼくの世界でむむちゃんを救ってみせるよ」

「待てって!神なんかなっても良い事無し…あ!!!」

ぼくはさくらさんの腕を振りほどいて、迷わず飛び降りた。

岩壁、海面にぶつかる前にぼくの体は

黄色の光に包まれて消えた…。

…崖の上、取り残された男はぽつりと言う。

「…あーあ、せっかくお前のこと、助けてやろうって思ってたのに。ちっとも上手くいかねぇな。お前の母親も堕ちちまったし。もう勝手にしろ…。この反乱だって、元を辿れば俺のせいだし?…こんなクズが神とか言われちまうの、笑っちまうって。

ははは、…はぁ。…。」

そしてどこか諦めたような表情で、寂しげなため息をついた。孤独な男は小さく呟く…。「人の心がわからない奴、か。お前の母親にも似た様なこと言われたな…。そりゃそうだろ、俺は俺しかいねぇんだ、誰かが教えてくれるわけでもねぇし…、人間の心なんかわかるわけねぇよ。

こんな石の力を使ってまで…どうしてそんな事がしたいんだ。信じて愛し合うだとか、自分を殺すだとか、誰かのために心削ってまで戦うだとか…。

面白いとは思うけど…そんな感情、俺は怖くて触れられない。

わかりたいとも思えねぇんだよ」

------------------------

目が覚めるとぼく(ルキソス)は、知らない部屋の硬いベッドの上に寝っ転がっていた。寝惚けた頭でのそのそと起き上がる。ここはどこ…?

ベッドと小さな机しかない簡素な部屋。猫背で座り、少しぼーっとしながら壁にかかっている時計の針に目をやると昼すぎを指していた。…はっと気がついて、勢いよく立ち上がる。もつれる足で慌てて外に飛び出すと…城が見えた。

赤い炎の出来事なんて嘘だったと言わんばかりに、堂々とある、変わらずにある。

振り返ると、扉には「空き家」と張り紙がされていた。詳しく読むと、誰かが夜逃げした部屋だったらしい…。しかもここはぼくの家(洋服屋)からは随分と離れている様だ。散歩中の女の人に今日の日付を聞くと、あの反乱が起こる直前、わずか1日前だった。明日には戦いが始まる…!?

(本当に時間が巻き戻ったんだ…!。絶対に反乱を阻止しよう!

…歴史を変えて、むむちゃんを救って、またむむちゃんと幸せに、変わらずにこの国で暮らすんだ!!。)

時間がない。ぼくはその空き家に戻り、机に向かう。机についている引き出しを開けてみると、たくさんの紙とペンが入っていた。よし…ぼくにしか知りえない未来の情報を書いた貼り紙を作って、国中にはり付けよう。反乱を阻止する作戦…きっと大丈夫。

カキカキ…『 〇日、王様を捕らえるため城に火をつけ、大きな反乱を起こそうと企んでいる者がいます…実行しようとしている内容は…計画に関わっている者の名前は…』続きには反乱の先導者「りき」と、王の名を呟き自分のせいだと話した「みどり」の名前と特徴を書いた。

必死に書いているとあっという間に夜になった。300枚書ききったところで、ふと時計を見た…そこで大切な約束を思い出す。

(あ…そうだ、お仕事終わりのむむちゃんと泉で待ち合わせて、会っていた時間だ…もう1時間以上も過ぎちゃってる!行かなきゃ)

泉のほとりに向かうとむむちゃんはいなかった。もう帰ってしまった?…そりゃそうか、来るのが遅すぎた。

(反乱の前日、さいごにむむちゃんと会った夜。今日は泉で待ち合わせた後、城のむむちゃんのお部屋にいってお酒飲みながら色々話したんだっけな…)

期待感を抑えられなくてぼくはしばらくそこにいた。心が痛くて、たまらずに目を閉じる。会いたい…ぽたぽたと流れる涙…数時間たち、深夜になってもむむちゃんは現れず、ぼくも重たい足で空き家に帰った。

(遅くなりすぎた…ごめんね、むむちゃん。でも頑張るから…)

ぼくは書き溜めていた300枚の張り紙を抱えてまた外へと出た。誰もいない深夜、国中を駆け回り、朝になるまでこっそりと貼り付けてまわった。

「疲れた…」

自分の家に帰りたかったけれど、距離がある。ずっと引きこもっていたこの体…あまりの疲労にぼくはすぐそばの、丘の下にある公園のベンチに腰掛け、そのまま眠ってしまった。

りきとみどりの行動を制限できれば…きっと歴史は変えられる。

そう信じて。

------------------------

国中に響く王様の大きな声で目が覚めた。バルコニーの王様は張り紙を掲げ、反乱を計画していた男「りき」とその計画に関わっていた数名を捕え、城の地下牢に幽閉したと話した。ただ、城中で捕らえたみどりだけは、兵士を振り切り逃走してしまったらしい。

(城中で捕らえたってことはみどりさんはお城に出入りしていたんだ。あの王様が「犯罪者」を逃がしてしまうなんて、処刑しないなんて、珍しいこともあるんだ…)

ぼくは重い体をなんとか動かし、這いつくばって丘の上に登った。

祈る様に城を眺める。

そして…昼になっても夕方になっても城に火がつくことは無かった。何でもない日常が静かに続いている。辺りは少しずつ暗くなっていく。丘の上には誰も来なかった。白いチューリップがのどかな風にゆられていた…。

食い止められた反乱…。

「歴史を変えられた、ぼくはむむちゃんを助けられたんだ!」

ぼくはむむちゃんと会うために、弱った体をしっかり休めてから、夜いつも会っていた約束の時間に泉のほとりへと向かった。

泉に近づくと誰かの話し声がした。

誰かいる?ぼくは思わず木の後ろに隠れた。耳をすませる…。

「むむちゃん、今日、城で誰か捕まったって聞いたから心配でさぁ、ちょっとだけ早く来ちゃったんだ。まさかむむちゃんが先に着いてて、待っていてくれていただなんて、驚いたよ」

「大丈夫だって、あんな奴大したことじゃないし。でも、心配してくれてるだろうなーって思ってあたしも早く仕事切り上げてきたの。でもね、聞いてよ、今日大変なことがあったんだから〜!」

声の主は、「ぼく」と「むむちゃん」。

少しだけ顔を出して見えたのは、手を取り合って楽しそうに笑う「ぼく」と「むむちゃん」。

信じたくなかった…。ぼくは立ち尽くす。そして、崖の上で聞いた、さくらさんの言葉を思い出した。

『 …実際の仕組みは「自分だけの新しい宇宙(せかい)を作りだす力」を持つ石だ。でも作り出された世界はあくまで「正しい時間が流れている真実の世界」の偽物(コピー)なんだ。全てが偽物だからこそ、都合良く時間を操ったり、好きにできる仕組みなんだ。俺も詳しくは知らねぇけど…偽物の証拠に、偽物の世界には神(俺のコピー)はいないらしい。時間とか秩序を失った孤独な世界…そんなところ行っちまったら絶対後悔する。しかもその石は1度使うとその力からは逃れられなくなる。死ぬこともできないし、二度と帰ってこられないぜ』

偽物の証拠に、偽物の世界には神(俺のコピー)「は」いないらしい…か。ぼく自身は元の世界から来た本物だとしても、この世界にぼくのコピーは存在しているんだ。じゃあ、ぼくの家にはあそこにいるもう1人のぼくが住んでいるということになるのか…。

自分だけの新しい宇宙(せかい)にいるぼくはあまりに孤独で

ただただ仲間はずれだった…。

首からさげているペンダントを手に取って見つめる。

そっか、そりゃそうか。

こんなぼくには、もう、居場所なんてないんだ。

宇宙の決まりに、そして神様に背いたのだから…。

がっかりする。

それでも、むむちゃんを助けられたんだ。

だから、よかったよね。

よかったんだ。

それでも…頭に過ぎってしまう。

楽しそうに笑うもう1人のぼく。あそこにいるぼくとむむちゃんを引き離して、むむちゃんを取り返せないかな、なんて。

またむむちゃんといられないかな、なんて。

…でも、無理だ、わかってる。

2人が立ち去った後の泉。月明かりに照らされた水面に映るぼくの顔を見た…むむちゃんを失って、大怪我をして、痩せてやつれた白い顔。もう1人のぼくは血色のいい健康的で優しい顔をしていたな…。

明るくて元気だった頃の自分なんて、遠い遠い昔のように感じる。

それにぼくがかわいそうだよ…むむちゃんを失う気持ちなんて、どんな自分にも…もう知って欲しくないし。

帰るところも、自分の名前も居場所も仕事も全てを無くして、どこにもいけなくなった。そして身を隠し、ただ影からむむちゃんとぼくを眺める日々が始まり、続いた。

羨ましい。寂しい。幸せな2人の姿に、心も体も汚れていく。

少しずつ暑くなる、夏が近づいてくる。

1週間…2週間…。

丘の上。ぼくはまるで死んだ様に、草に紛れて横たわっていた。暑い空気の中、疲れきった栄養不足の体は限界を迎えようとしている。ボサボサの髪、痩せて僅かな力すら入らなくなった体。お腹が痛い…。

(さくらさん、時間を失って孤独に彷徨い続けることになる…なんて言っていたけれど。時間を失っても、不変でいられるという訳では無いんだな。…環境や状況にあわせて自分の状態はこんなにも変わっちゃうんだ。おぇ…)

…お腹が空いたな。ちぎった草を口に入れて、口に流れ入ってきた涙の味で気持ちを紛らわせた。

大好きな団子とおはぎが食べたい…。

むむちゃんと、食べたかったな。

一緒に食べたかったな。

つらいよ、ぼく、もう、頑張れないや…。

眠たい。眠たい。

そっと瞼を閉じた。

意識を失いそうになったその時、胸にかかっていた、ペンダントが輝いた。

そしてぼくの体は黄色の光に包まれて消えた…。

------------------------

「げほっげほ、げほ…。」

体の痛みと苦しさで目が覚めた。丘の上、曇り空。お昼頃かな?辺りには雪がふり積もっている。

(死にかけて…ぼくはまた、時間を飛び越えてしまった!?ここはいつ!?)

こんな寒さのなか眠ったらまた時間を超えてしまう…。ぼくはなんとか起き上がり、地面や壁に手を付きながら歩き始めた。行先は元々住んでいた自分の家…ここからならそう遠くない。こんな姿、まさか自分だとは思わないだろうし。頼れる人なんていない、もうわからないから!

洋服屋の扉を開けた拍子にぼくは倒れてしまった。

「いらっしゃいませ。…えっ、お客様大丈夫?すぐ助けてあげるから、え、どうしよう…。とりあえずここに寝て!」

もう1人のぼくに抱えられ、ベッドに運ばれる。持ってきてくれたお湯を口にすると少し体が楽になった。

「お医者さん呼んでくるからね。何か食べる?あ、でも今おはぎしかないや…おはぎなんて食べられないよね…」

「おはぎ…食べたい」

掠れた声でそう言うと、もう1人のぼくはすぐに見慣れたお皿にあんこのおはぎを乗せてもってきてくれた。

「今お隣さんに頼んできたよ!すぐに、お医者さん呼んできてくれるって!それまで看病するからね、辛かったね、もう大丈夫だからね」

「ありがと…おいしい…」

懐かしい味…ぽたぽた流れる涙をもう1人のぼくはハンカチで拭ってくれた。そっと優しく抱きしめられる。全てを許してくれるような、包んでくれるような、あたたかさ。

「食べるもの無くてしんどかったんだね…きみ、名前は?どこからきたんだい?」

「…わ、わからないんだ。全部忘れちゃったんだ。この国にいた事は確かなんだけど、今、何年の何月何日なのかも分からなくて…」

ぼくは一旦記憶喪失の振りをして誤魔化す。

「記憶喪失になってしまったんだね…かわいそうに…。今日は〇〇年の〇月〇日。明日は王様の30歳の誕生祭があるんだ」

「えっ…」

じゃあここはぼくが反乱をを阻止してから、10年後の未来!?(王様が20歳の時に反乱が起きたからね)。もう1人のぼく、童顔?だし雰囲気も全然変わってなくて気が付かなかった…。

「何か思い出したり、元気になるまで、しばらくここに泊まってもいいからね。お風呂もあるしゆっくり療養も出来ると思う…遠慮しないでね」

「あ、ありがとう…」

「ちょっとは安心できた?ぼくの名前はほたる。よろしくね」

もう1人のぼく「ほたる」は、ぼく「ほたる」の手をとって微笑んでみせた。かじかんだ手のひら。ふと視線がそこに向いて…気がついた。気がついてしまった。

もう1人のぼくの左手…

その薬指に

指輪は無かった。

…?

ぼくは思わず立ち上がり、その左手を跡がつきそうなくらいに強く掴んで握った。

「指輪は?指輪はどうしたの!?!?」

「え?ゆ、指輪?あの、大丈夫かい、落ち着いて…」

「むむちゃんと、お揃いの婚約指輪のことに決まってるだろ!!!」

「……。?。ど、どうしてぼくとむむさんのこと知ってるの?ま、まあいいけど…。ぼくの婚約者だったむむさんのことなら、別の男の人と駆け落ちして、この国から出ていっちゃったよ」

「え?…え?」

「もう随分前のことだけど、反乱起こそうとした、りきっていう男の人がお城の地下に捕まってね。むむさんはその人に一目惚れしちゃって、りきさんもむむさんに一目惚れして、牢屋越しにこっそり会ってたみたいなんだ…。それで、ぼくをおいて駆け落ち…。

そりゃあそんなこと知った時は落ち込んだけど、いくら考えても意味ないし、むむさんが望んだことならもう諦めるしかないし…仕方ないよね。りきさん情熱的で凛々しくて強い人らしいし、むむさんが幸せになれるならいいかなって思うようになって…やっと立ち直れたところ。今は新しい恋人を…」

「ふざけんなよ!」

ぼくは沸き立つ衝動に任せて、もう1人のぼくの胸ぐらを掴み、そう怒鳴りつけた。

そしてその頬を力いっぱい殴った。

髪を引っ張り、押し倒して馬乗りになって、言葉にならない叫び声をあげながら、何度も何度も殴った。

ありえない…ありえない。

せっかくむむちゃんとの未来を守ったのに!

どうしてお前がむむちゃんを守りきらないんだよ!?

何やってるんだよ、何やってるんだよ…平和ボケした自分に腹が立つ。

憎くて憎くて仕方がない。ぼくは自分の居場所も時間も未来を捨てて、お前にむむちゃんをあげたんだ。

容易く捨てやがって!容易く諦めやがって!

じゃあぼくは

いったいなんのために!?

「あはははははははははははは!!!

腸が煮えくり返って、馬鹿馬鹿しさに笑いすら込み上げてくる。

その時、お隣さんとお医者さんがお店に入ってきた。その光景に驚いたお隣さんの大きな叫び声。お医者さんがぼくを止めようと、「やめなさい」と、駆け寄ってくる。もう1人のぼくを見ると意識を失いぐったりとしていた。顔は腫れ上がり、目と鼻、口からは血がぼたぼたと流れている。ざまあみろ。でも人を呼ばれてしまいそう…このままだと不味いことになる。

ぼくは体のだるさも忘れて立ち上がり、机の上に置いてあった布切りばさみを手に取った。そして、それをお医者さんに向けた。

胸のペンダントを握りしめ、笑いながら叫ぶ。

「ここはぼくの世界なんだ!!!時間も、お前らも、この世界にあるものは、ぜんぶぜんぶ、ぼくのためにあるんだ!!!

ぼくを失望させようとしたって無駄なんだ!!

時間を巻き戻せば、お前らもリセットされるんだからな!!!

皆…大嫌いだ全員死ね!!!」

ぼくは布切りばさみを振り上げ自分の胸を勢いよく突き刺そうとする。その瞬間、ペンダントが黄色く輝いた。世界が、視界が、灰色になり、混ざり合うようにぐるぐる回転する。ぐちゃぐちゃになっていく。濁った灰色は無へと変わり果てていく。そしてぼくの意志を映し出すように、景色が構築されていった。

ぜんぶぜんぶ、むむちゃんのせいだ。

むむちゃんと出会わなければ、こんな事にもならなかった。

あんな気持ちも知らずにすんだ!

こんな世界は気に入らない!最悪な未来だ!

だからぼくはむむちゃんと出会う前…革命が起きる2年前に戻るんだ…むむちゃんと出会わない未来を作り出す!

そして、その新しい世界の中心で

として生きてやる!!

徐々に色づいていく世界…見慣れた泉のほとりに降り立つ。明るい曇。駆け出そうとして、膝をついた。はぁはぁ…胸が苦しい。先にこの弱った体を何とかしないといけない…。ぼくは泉の水を口にしてから、城の元へと向かった。城の近くには色々な店が沢山ある。

ぼくは適当に料理屋さんに入り、好きなだけご飯をお腹に詰めた。のんびりしてから、最後にフォークを首に突き刺そうとして、時間を戻し、店に入る前に戻る。そんな風に…服を泥棒して汚れた服を着替えたり、お医者さんにみてもらったり、宿で寝たりして、時間を戻すことを繰り返しては何とか体を持ち直した。

そしてむむちゃんと出会うことになる日の夜。

一足早く泉のほとりにやってきて、木の影に隠れて見張っていると、散歩をしているもう1人のぼくがやってきた。座る拍子にポケットから財布を落としている。

(あの財布をむむちゃんが拾って、ぼくたちは出会ったんだ)

ぼくは泉に向かって小石を投げた。もう1人のぼくはポチャンという音に驚き、「こんなに寒いのに何か生き物がいるのかな」なんて言いながらその様子を見に行く。ぼくはその隙に財布を拾い、中のお金を抜き取った後、茂みの中に捨てた。去り際に、薬指につけていた指輪を外し、それも茂みの中に投げ捨てた。

これでぼくは自由だ。

自由だ!!!

不幸から解き放たれた感覚。過去、思い出との決別。虚空に湧き上がる自信はぼくを強くする。胸元のペンダントがきらめく。この力はどんな悲しい運命も変えてくれる、ぼくを救ってくれる…ぼくはもう、無敵なんだ。

皆ぼくに未来を弄ばれて、消されて、奪われて。誰も逆らえないでしょ?誰にもとめられないでしょ?

この王国を支配するあの王様でさえ、この世界ではぼくには逆らえない、だって1番高い所にある王座に座っているのはぼくなんだ。

捨てることで勝ち取った孤独と自信の味は、シャーベットの様に冷たくて爽やかでおはぎなんかより、ずっとずっと美味しかった。

タイトルとURLをコピーしました