星のはなびら二章「沈む、トリフォリウム」

動かなくなった…ついに死んじゃった。髪を分けて、見えたその顔は血と涙でぐしゃぐしゃだった。

(可愛い、可愛いしんげつちゃん)

僕は彼にキスをする。

「ははは…最高だ。ねぇ、死ぬのは怖かった?怖かったでしょ…怖いんだよ。悲しくてたまらないって顔してた、最高の死に様だよ」

…。

…さぁ、どこから話そうか。

(僕にもあまり時間はないんだよね)

僕は上着を脱いだ。上半身裸になる。肩甲骨のあたりには真っ黒の穴が2つあいていた。穴の周りを中心に、体は腐敗し、朽ちてきている。背中全体にまで広がっていた。ずっと痛くて苦しくてたまらなかったんだ。ベッドの上でも見せなかった僕の秘密。

…僕はそもそも死神じゃない。ただの幸せなおばけだった。羽をもらったおばけをこの星では天使と呼ぶ。僕は天国で暮らす、子供の天使だった。僕は神様の目を盗んで、羽を鋸で切り落とし、現世に落ちてきたんだ。羽を失えば二度と上へは戻れない。そして、下界の空気と罪に触れた魂は削れていった。

明日の朝には僕の体は朽ち果てる。魂ごと無くなって…僕の存在は跡形もなく消えてしまう。そうなることを分かっていながらも羽を切り落としたのは、

どうしても、もう一度

しんげつちゃんに会いたかったからだ。

しんげつちゃんを許せなかったからだ。

しんげつちゃんが大好きだったからだ。

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幼い頃、お父さんとお母さんとかくれんぼをしていた時、それは起きた。風のように突然現れた黒い人影。悲鳴も、助けを呼ぶ声もないままに、赤い飛沫とともにお父さんとお母さんが倒れた様子をクローゼットの隙間から覗いていた。泣き声をあげるのを我慢し、震えた体。黒い人影はちかづいてくる。開けられたクローゼット。真っ黒のマスクの隙間から銀色の瞳が光った。まるで刃物のような鋭い瞳。

少し間が空いてから、クローゼットはバタンと閉められ、黒い人影は去っていった。見逃された、ということに気がついた。

直ぐにクローゼットから飛び出し、お父さんとお母さんを揺さぶった…けれど、返事をしてくれることは無かった。

こわい、こわいよ。

ひとりにしないで。

僕は何も出来なかった…。あの銀色の瞳が恐ろしくて頭から離れなくて、川の字になって眠っていた昨日の夜と同じようにお父さんとお母さんの傍に寝転んだんだ。お腹がすいても、体が重たくなっても。ただ、その、冷たい2人の手を握り続けて。目を閉じていたんだ。

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気がつくと、雲の上にいた。天国の入り口、大きな門を潜り抜ける。強そうな門番さんが手を振ってくれた。天国で神様が真っ白な羽をくれた。大人になりたいというと、1分で大人の姿にしてくれた。

僕は優しい世界で暮らせるようになった。そこにお父さんとお母さんはいなかったけれど、他の天使達…優しい仲間に囲まれて、何不自由なく過ごしていた。好きなことができて、好きなものが食べられる。ここに来られた人はずっと、幸せにくらせるようにできている。

僕のお父さんとお母さんは、とっても悪い人だったらしい。皆僕の頭をなでるだけで、詳しいことは教えてくれなかった。

(お父さん…お母さん…会いたいよ)

忘れられない、刃物のような銀色の瞳。

なぜあの時僕の最愛の人達を殺した!殺さなければ、今もお父さんとお母さんと一緒にいられたかもしれなかったのに。

なぜあの時僕を生かした!一緒に殺してくれていれば、今もお父さんとお母さんと一緒にいられたかもしれなかったのに。

許せない、許せないよ、わかりたくもない、受け入れたくもないんだよ。

憎しみが増して、増して、増して幸せな世界の景色も染めてしまう。黒い人影を思う度に、視界は黒くなり何も見えなくなっていく。

あいつがどんな人間なのかを知りたい。あいつの全てを奪ってやりたい。同じ…いや、もっと深い絶望を突きつけてやりたい。

会いたい。会いたい!会いたい!!会いたい!!

触れたい、話したい、狂わせてやりたい、死んで欲しい!

ああ、君のことしか考えられない…

この感情はなんなんだ…そして考えて考えて気がついた。

いや、思いついた。

僕は彼を憎む気持ちと同じくらいに

彼に夢中になっているのだと。

求めているのだと。

手に入れたいのだと。

…愛しているのだと。

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天国から堕ちるのはこの星のルール違反。二度と帰っては来られないことは知っていた。魂ごと少しづつ自分が朽ちていき、何れ消えてしまうことも知っていた。こんな自滅行為を望むのはきっと僕くらいだろう。それでもいい、なんでもいい、君に会いたい。

(でもこのままじゃ手がかりも何も掴めないし、あの人に会えても何も出来ないな…強い力が必要ほしい)

天国には強い力を持つ「悪魔」が暮らしていた…。僕は悪魔に羽を切り落とすことを打ち明け、人の記憶を見る力、物を作り出す力、体を強くし再生できる力を分けてもらった。僕はその対価として、魂のほとんどを渡した。小さくなった魂。僅かな灯火。僕が下界で存在出来るのは、せいぜい1ヶ月程度となった。

(…1ヶ月あれば、十分だ!)

僕は人目を盗んで、自分の羽を鋸で切り落とした。余りの痛さに、号泣しながら鋸を引いた。その時少しだけ自分が馬鹿らしくなった。天国にいれば、ずっと幸せに暮らせるというのに、何をやってるんだ。でも、この気持ちは抑えきれない。羽を切り落とした瞬間、僕は堕ちた。背中の羽が生えていた所は黒い穴が空いていた。

いたい…いたい、それでも、あの銀色の瞳をもう一度みたい。

君の心も、生きがいも、人生も、

全てを手に入れて、壊してみせる。

憎しみと愛情、溢れ出すこの感情に突き動かされる。支配される。

お父さん、お母さん…

救いを求めて、僕は堕ちる。

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舞い降りたのは、僕が死んでから1週間後の世界。

大好きな君には、まずは家族を殺されるという僕と同じ、いや、それ以上の苦しみを味わってもらいたい。僕は裏社会を走り回り、人間の記憶を次々と見て、繋ぎ合わせるようにその人の情報を掴んだ。

「あいつの名前はゆらめきちゃん…か!」

兄妹3人で暮らしているみたい。そして僕はゆらめきちゃんがいない時間帯を狙って、その家へ入ったんだ。

「こんにちは、きらめきちゃん♪」

きらめきちゃんは即座に、僕の背後にまわり、銀色の瞳を輝かせて襲ってきた。笑顔で振り返ると、銀色の瞳は困惑に揺れた。

(双子の弟、きらめきちゃん。ゆらめきちゃんと同じ顔…。こんな顔してるのか…可愛いなぁ。ねぇ、きらめきちゃん、ささめきちゃんを先に逃がしたようだけど、今日は君に会いたかったんだよ…?)

裏社会のほとんどの情報を握っている情報屋、悪の指揮官「きらめき」。確かな人脈の中で、情報を共有していたようだけれど、記憶を盗み見るだなんてずるかったかな。

きらめきちゃんに何度倒されても、再生して起き上がる。繰り返す…彼が諦めるまで。

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「あはは♪もう殴ってこないの?そうだ、ゆらめきちゃんの情報を吐いたら、楽にいかせてあげる。」

「離せ!!お前、人間じゃねぇな…?話したくても話せないんだ、だっておれは何も知らない!!本当に知らないんだ!!!」

記憶をのぞいて、情報は全てお見通しだった。君が家族の情報を吐くような奴じゃないってこともね。

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「……」

「痛い?苦しい?死ぬ前にやって欲しいことがあるんだ…君のスケッチブックに イケ と書いて。君の血でね。そしたら、こっそり逃がしたささめきちゃんには手を出さないことにする。痛かったね?やっと楽になれるね」

「くっそぉ…ぁあ、酷い…おれは強いんだ、主人公なんだ…何も悪いことしてないのに…夢、いっぱいあったのに…お前のせいで…おまえ、のせ、いで…ぇ」

息絶えたきらめきちゃんを見下ろす。

(こいつは、ゆらめきちゃんに指示して、僕のお母さんとお父さんを口先で殺したんだ…絶対に楽になんてしてあげない)

僕は現世から更に下へと堕ち、きらめきちゃんの魂を追いかけた。地獄へと続く大きな穴の、真っ赤な岩で出来たその壁に手をかける。何とか自分が落ちてしまわないよう踏ん張りながら、きらめきちゃんの腕をつかんだ。

「は、離せ!…死んでからも追いかけてくるなんて最低だぞ!」

「最低?そうかもね」

僕は足に力を込めて、壁に穴を開けた。空いた穴は大人がギリギリ入る程の大きさだ。その中にきらめきちゃんを引き上げ、押し込める。

「何がしたいんだ…うわっ!!」

きらめきちゃんの頭を殴って穴をあける…空いた穴から、大量の情報が水のように流れ出る。黄色の花びらが湧き出し、辺りを舞った。その花は恐らく、兄妹への想い、思い出…。

「どんどん自分が分からなくなっていくでしょ?おばけは、体の中身が無くなってしまったら記憶も自分のことも全部忘れちゃうんだよ。…僕は死神の体だからそんな心配いらないけど♪」

僕は空っぽになって呆然としているきらめきちゃんの頭に、呪いを込めた造花のひまわりを適当に詰め込んで塞いだ。それから彼を穴の奥…呪いの霊界へと蹴り飛ばし、穴の入口を塞いで閉じ込めてやったんだ。

「最強の悪霊の完成!造花のひまわりには僕の力を少しだけ加えてあるから、僕と似た力が使えるんじゃないかな♪何度も自分を見失って壊れて泣いて、滅茶苦茶にしちゃってよ。その監獄みたいな霊界で孤独に押し潰されて、狂えばいいよ…永遠にね。

君が現実を忘れて楽になれないように、魔法のアイテム(鏡)も送っておいたよ。君の存在は僕を幸せにしてくれなかったつまらない神様への、ちょっとしたいたずらでもあるんだ」

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(困ったなぁ…)

羽のない僕が現世にもどるには、地獄の赤い岩壁を自力でよじ登るしかなかった。僕の目的を果たす為なら苦しさも指先の痛みも感じなかった。2時間ほどかけてなんとか現実世界まで登りきったら、なんと…現世では1年の時間が過ぎていた。

地獄や現世、天国に霊界…世界によって時間の流れる速度が違うなんて!?そんなの知らなかったよ。同じ顔をしていると思うと興奮してちょっと遊びすぎちゃったかも…。僕の魂はもうあと1ヶ月あるかないかってところなのに、またゆらめきちゃんを探し直さないといけないっ!

でも、あの時きらめきちゃんはスケッチブックに「イケ」という文字を残してくれた…。それに、きらめきちゃんはささめきちゃんを逃がすときに「お前はまだ子供だから何とかなる、おれをおいて国の外へ逃げるんだ」と言っていたようだったし…恐らくゆらめきちゃんは、ささめきちゃんを追って…裏社会の外にいる!

そうだ…いいことを思いついた。まずは、ささめきちゃんを探そう♪

1日も無駄にできない。今日中にケリをつける!図書館、新聞紙、テレビ、携帯電話…人混みの中で、大量の記憶を覗き、駆け回り、その日のうちに、青い髪と赤い瞳をした可愛い女の子が1年前保護されたという情報の足をつかんだ。学校からの帰り道、彼女を呼び止める。

「こんにちは、僕は探偵…ちょっと、お話いいかな?」

「た、探偵さん?」

近くのカフェに入る。怪しむ彼女に、僕は、特製のきらめきちゃんの写真をこっそりみせた。

「…っ!!」

「彼をヤったのは僕。ささめきちゃんが妹ってことも知ってるよ」

僕は直ぐに写真を胸ポケットにしまう。

「あ、あなた…目的は何?私も殺すために、調べて追いかけてきたってこと?」

「違うよ、僕の目的はきらめきちゃんの双子の兄♪」

「きらめき兄さんに兄なんていないわよ…はぁ、その事件の時、私は保護されるために交番へ走ったの。それからは記憶喪失の女の子の振りをして、施設で暮らしてる。悪いけど、あなたの言っていることはわからない。自分の身を危険に晒したくなかったら、裏社会のこととは縁を切ることね」

「そっか、残念。じゃあね」

ゆらめきちゃん…いや、しんげつちゃんの居場所はとっくにわかっている。あんなに派手に活躍していたらね。

これは、ささめきちゃんとしんげつちゃんを出会わせないようにし、接点を無くすための細工。ささめきちゃんは裏社会のことを、そして「ゆらめきちゃん」のことを嗅ぎ回ってる僕の存在に驚いたはず。恐らくこれをきっかけに、ささめきちゃんは焦って、しんげつちゃんに、2人にしか分からない様な形でメッセージを送り、「私に近づくな、逃げろ」と警告をするだろう。

しんげつちゃんには、家族に別れを告げられたり、失望される時の悲しみも感じて欲しいと考えているからね♪

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僕はまた地獄へ続く岩壁に降りた。現世の時間を早送りさせるためだ。限界まで壁にぶら下がり、またよじ登る。

「はは、体が痛いな…」

およそ2年、時間が進んだ現世へ…。

(えっと…きらめきちゃんをヤったのが3年前…ささめきちゃんに接触したのが2年前)

電気屋さんのテレビをみに行く。…ささめきちゃんが大きな事件を起こした!これは、しんげつちゃんへのメッセージに間違いないね♪ささめきちゃん、これまでもしんげつちゃんに色んなメッセージを送っていたつもりだったみたいだけど、しんげつちゃん、気が付かなかったんだなぁ。いいね、大胆な作戦♪…しんげつちゃん、ショックを受けているだろうなぁ。きっと、妹に会いたくてモデルなんかやってたんだもんね。

生きる意味見失っちゃった?

早くその、可愛い顔を見たい。さぁ一緒に残りの時間を楽しもうよ!

人生も、心もめちゃくちゃにしてあげる。

ずっとずっと、君のことで、頭がいっぱいなんだよ?

「ああ…大好き♡♡」

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運命なんて話はもちろん嘘。しんげつちゃんって、ささめきちゃんのためなら何でもするでしょ?人生を狂わせて、社会的な居場所も心の余裕も、何もかもを捨てさせるための甘い嘘。しんげつちゃんの運命なんて、全部僕が握っていた、決めていたんだよ。

ああそれから、しんげつちゃんが病気って話ももちろん嘘。しんどいのは、最初に刺した毒のじわじわとした効果と、悪化したケガと疲労のせいだよ。毒は悪魔から貰ったんだ…遅効性だって聞いていたのに、刺した瞬間しんげつちゃんが気絶したときは、死んじゃったのかと思ってちょっと焦った。僕が生き返ったことにびっくりして、体調崩しちゃったんだね。

しんげつちゃんと過ごす残された時間、それはもう特別だったよ。

僕の心を支配した、あの刃のような銀色の瞳がいつもそばにある。そして静かに華麗に命を奪うその動作も特等席から見られる。

最高でしょ?

自分を押し殺していたしんげつちゃんが僕の手によって解放され、全てを無くして僕だけが残る。そして、僕に心を満たされ、僕に乱されていく。大好きで大嫌いなしんげつちゃん。

「可愛くて可愛くて仕方がなかった!!」

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冷たくなった体を、まるでお姫様のように大切に抱えた。入口とは反対の岩壁を小さく壊し、岩の中を移動していく。そして別の穴の中へと出てきた。この穴からだと、海がもうすぐ側にある。ここは天井が、周りが岩に囲まれているから、警察達にも見えないんだ。夜の海風が気持ちいい。ちらりと見やると、岩壁にもたれ掛かるように昨夜病院から攫い、殺したささめきちゃんが倒れていた。昨日も楽しかったなぁ。

僕はしんげつちゃんを抱えたまま、海へと入り、静かに、まっすぐに、進んでいく。徐々に深くなっていく。

冷たい

けれど、最高の気分だ。

大好きなしんげつちゃん。しんげつちゃんは死後の世界にはいけないよ。なぜだって?今から僕が最後の力を振り絞るから。しんげつちゃんの魂は僕の消えていく魂の道連れ!

そうすれば…永遠に一緒にいられるでしょ?

ブクブク…

サイレンの音が遠くなっていく。

君が最期にくれた「大好き」を思い出す。

海の底へ沈んでいく。

無くなっていく。

「大好き…」

僕は最期にそう、呟いた。

END(3章に続く)

2.5章【番外編】さいごの祈り(ゆうぎとささめき)

ーこれは彼らが海に沈む前日の夜の話ー

目が覚めると、海の匂いがした。月明かりが差し込む、ぼんやりと岩壁が見える。病院で眠っていた私(ささめき)は攫われ、この海辺の洞窟に連れてこられたらしい。地面は海水で濡れている。海水はパジャマを通り抜け、身体中に巻いている包帯にまで染み込んでいた。痛くて、冷たい。

私は重い頭を、体を起こす。目の前には数年前に出会った「探偵」がいた。私が目覚めるのを心待ちにしている様子だ。立ち上がり、彼に言う。

「…裏社会とは縁を切れって言わなかった?こんな所に連れてくるなんて趣味が悪いわね、探偵さん」

「わかっているくせに。ささめきちゃんは賢いからね」

黄色い髪、私に似た赤い瞳。子供用みたいなデザインの黒いチョーカーを身に着けている。数年前会った時よりも顔色が悪く、痩せているようにも見える。彼は今、国中から指名手配され、追われている「殺人鬼」の2人のうちの1人だ。もう1人は私の実の兄…しんげつ、ゆらめき兄さん…。

「…もちろんよバカにしないで。あなたはゆらめき兄さんを狂わせた。私があなたに踊らされてたってことにもとっくに気がついてるわ。あなたの目的はゆらめき兄さんへの復讐…きらめき兄さんと私はそのおまけってところかしら?」

「さすが。でも復讐なんて言葉はつまらない…僕はしんげつちゃんを愛してるからね」

「馬鹿ね、愛しているなんて言葉は本当に薄っぺらい。どんな感情にも置き換えられる、魔法の言葉…いや、道具なのよ。私だって今も兄さん達のこと愛しているわ。…でもそれは、後悔と寂しさの象徴みたいなものよ」

「何それ、つまらないこというね…」

彼の右手には、包丁が握られている。その包丁のデザインには見覚えがあった。ゆずは君の家にあったものととてもよく似ている。あれはもう焼けた…持ってくることは絶対にできない、わざわざ用意したのだろうか。いや、そもそも何故その包丁を知っているのか…。

「ねぇ、1つだけ聞きたいのだけど」

「なに?」

「私が起こしたゆずは君の事件にもあなたは絡んでるの?…私、ゆずは君のこと、死なせるつもりなんてなかったのよ。嘘を見抜く特技がある彼は利用しやすかった…でも、私、人殺しにはなりたくなかったの。ゆずは君はあの状況で火をつけられるほど心が強くないことも計算していた。でも…私、あの時誰かに助けてもらっていたみたい…はぁ、結構痛かったしその時の記憶は曖昧なの。だけど、やっぱり…あなたが侵入して火をつけたとしか思えないわ」

「え?知らないよ、自分のミスを僕に押し付けるつもり?やだなぁ。」

「…どうしてそれは認めないのよ。まあいいわ」

私は家族のためにゆずは君の人生を利用した…狂わせた、後悔してる。でもゆずは君のこと、忘れたいとは思わない。彼は嘘をつくのがとても下手だった…あんなにも寂しそうに嘘をつく人、生まれて初めて見た。私が私でなかったら…彼と幸せになれたのかしら。嘘でもいい、一緒に生きようなんて言ってみたかった。

私の罪。今まで何度も兄さんの隣で経験してきたことだ。ただ、直接命を奪うことだけは、1度もしたことが無かった。理由は怖かったからだ。恨まれることが、裁かれることが…ではない。罪悪感を抱えることが怖かったのだ。家族を失い、私はいつもどうしようもない罪悪感を抱えて生きている。変えられない自分を、変えられないまま、見つめ続けて生きている。

(私は何も出来なかった。利用して、助けられて、見ているばかり。ねぇ、私。全部仕方なかった、って思える?…思うのよ)

そんな渦を巻くような気持ちが倍増することを恐れていたのだ。

…そう、今のように。

「ふふ、しんげつちゃんの居場所を知りたいでしょ?今日はささめきちゃんにチャンスをあげようと思って!知りたかったら…」

「知りたくないわ」

「?」

「もう私の力ではゆらめき兄さんを救えない。私は兄さん達をあなたの手から守れなかった。二度と会えない…それでいいのよ」

「諦めてるんだ」

「ええ、諦めてるわ。でも勘違いはしないで。…逃げはしない。

私だって同じ血が流れてる、欲望に忠実なプロの悪人なの」

私は包帯の内側に仕込んでいた、ナイフを取り出す。眠っているところを無意識に攫われるほど無防備ではない。孤独に押しつぶされそうになりながら、負けそうになりながら…それでもこの日を待ち望んでいたのだ。

「だから最期はせめて馬鹿になって、心のままに…ムカつくあんたに抵抗したい」

「賢明じゃないね、ガッカリだよ…。しんげつちゃんに会いたくないの?色々考えてきたのにさぁ。そうだ、面白いこと教えてあげる。きらめきちゃんを殺したときにね、抵抗したら君の妹を殺すって言ったんだ。そしたら、それだけはやめてくれって言ってさ、持っていた武器を全部床に落として、両手を上げたんだよ」

「そんな話興味もわかない。そもそも彼、実際に戦ったことが無かったのよ。ずっと家に籠って夢見てた…、あんたの言葉も信じちゃう様な優しくて可哀想な人なの。あの時、逃げたのが私でなくて彼の方だったらって何度も思う…私には彼のような心の強さはないから、もしも過去に戻れたとしても、きっと、…何も出来ないけれど」

「ほんと、つまらないよね、君は。泣きもしない」

パシャ…水を踏みしめる音。彼が近づいてくる。私は手に力を込めた。わかっている、彼はゆらめき兄さんも敵わない強さを隠している。私も戦いなれていない…いくら暴れても、勝ち目などない。

…死の覚悟?そんなの出来ない。

(それでも、いいのよ)

…。私は多くの罪を犯し、罪に救われ、他人の大切なものを、何かを犠牲にして生きてきた。そう、私は悪人だから生きてこられたのだ。そして今もその延長線上に生きている。だから、誰かに恨まれても仕方がない。家族を殺されても仕方がない。私は優しい人にはなれない。…そう思っていた。そう思って自分を押さえ込んでいた。

でも、本当は…もっと正直に生きてみたかった。

ゆずは君は私のお願いを聞いた時、何もかもを受け入れて優しく抱きしめてくれた…初めての感覚だった。自分に正直になると、罪悪感が裏返って心が軽くなったような気がしたんだ。

…今日だけは、迷わないと決めた。

心の据を無視して、私は今、真っ直ぐに彼にナイフを向けている。

このナイフが、私の感情の全てだ。彼に怒りを向ける。殺意を向ける。

(最高に気持ちいいわね)

彼も私に、同じ感情を乗せた刃を向けている。

「いい?探偵さん、女だからって手加減したら殺すわよ。

私はあなたの前で武器を下ろしたきらめき兄さんとは違う…

あんたに踊らされてるゆらめき兄さんとも違う…

大嫌いなあなたと正面から殺りあいたいの」

「ふふ、いいね!じゃあそうしよう!」

そう言う彼が何だか楽しそうに見えたから、

私もにこりと笑って見せた。

(…兄さん達、愛しているわ。)

END

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