動かないありすを横目に僕はベッドの下へ潜り込み、隠し扉をずらして開けました。人1人ぎりぎり通れるか…という大きさの入り口。下へと続く梯子(はしご)が覗いています。僕は梯子を降りました。
薄暗い部屋。埃の匂い。
見たことの無い、近未来的な光景が広がっていました。何台もある眩しいモニターが、空中に浮かんでいます。光り輝く透明のキーボードを操作している男…2人目の王様の後ろ姿…。大きなヘッドフォンを身につけた彼は座ったまま、椅子ごとくるりと振り返りました。
「来たか…みどり。我の名前は「かしき」」
ヘッドフォンを右手で取り外しながら、かしきと名乗ったその男は僕をまじまじと見ていました。左手と両足は木製の義足。体には沢山の管が繋がっており、袋に入った色とりどりの液体を注入されているようでした。真っ黒な眼球に浮かび上がる白色の瞳。
人なのか、悪魔さんのような人でない存在なのか、僕にはわかりませんでした。はじめて嗅ぐ匂い、曖昧でカラフルな空気の色。異空間のような秘密の部屋…飲み込まれてしまいそうで軽い目眩がしました。
「…かしき。あなたが2人目の王様ですか」
「そうだ。見ての通り、このような体でな。我はこの部屋からは出られない。梯子を登ることも出来ない上、魂を維持するためのこの体に繋がる管を1本抜くことすら出来ないからな。
だが、ここからはこの国の全てを見渡せる。聞くことが出来る。我はこの脳とあらゆる魔法の道具を使ってありすを操作し、強国を転がしているのだよ。この国は我によってなりたち、維持されているのだ」
「…もしかして、この色んな魔法の道具って悪魔さんから貰った物ですか?あの、ありすが耳につけている小さな道具も」
「その通りだ。しかし甘いな、道具だけでない…。この部屋にあるもの全てが悪魔のからの贈り物なのだよ」
「…!?つまり、あなたも…?僕と同じ…?」
「お互いに一緒にされたくは無いだろうがな
およそ200年前か…この国が、まだ小さかった頃…我は王の使用人のひとりだった。
当時の王、みちば。彼はこの国を強国へと変えるため…我に国のために悪魔と契約するよう命じた。
地位がほしかった我は、王に選ばれ命じられたことを喜んだ。そして我は強国を作り出すための体…からくり人形へと作り変えられたのだ。悪魔の力により、我の脳は発達し、未来を計算し先回り出来るほどになった。この魔法の道具を使いこなし、国中を把握出来る様にもなった。永遠に近い寿命も得た。だが、タダとはいかない。我はその力の代償にこの部屋に閉じ込められ、この体にされたのだ。
だから、我の代わりに表で王冠を被る操り人形が必要になった…。ありすだけでなく、我が使えていたみちばも、今までの王も、皆操り人形にしていた。我に操作される人形として生まれ、感情を殺して育てられ、決められた人生を終えた。それを知るものは我だけだ。…そしてみどり、お前だな。」
「…なるほど」
「悪魔は対価が欲しいのではない、人間をおもちゃにして楽しんでいるのだ。人が欲に溺れ、踊らされ、狂う様を。
お前の存在は魂を与えられた時から把握していた。国を揺るがす魔法の道具を持っていることも知っていた。だが…我の力ではどうしようもなかった。
悪魔がお前に渡した地図は、我の脳を分析し、小さな隙をついたものだ。…我の悪魔に与えられた脳では、悪魔の力、そのものには敵わないのだ。お前が寝室に入り、あの道具を使うところまでは我にはどうせ変えられない運命だった。だから我はありすがお前に暗殺された後のことを考え、分析していた。
…しかし、お前はありすを殺さなかった」
「…そうですね。僕はお父さんのことも悪魔さんのことも裏切りました。…何も考えず好き放題してしまって、僕は悪い人形ですよ。だから、てっきり、あなたに殺されるのかなぁと思っていました」
「勿論殺すつもりだった!その道具諸共、跡形もなく消してやるつもりだった…。
だが、ありすに抵抗された、我はあの時だけ、あいつを操りきれなかった…。お前があいつの心を目覚めさせたせいで、あいつは僅かな意思をもってしまったんだ。
だが、我ならばあいつの心をまた壊してやることはできた…」
「な、なぜしなかったのですか…?こんな風に僕とありすを泳がせて」
「わははは、言わせるのか?よく聞けよ」
大きな杖をつき、王様は僕の元へと笑いながら近づいてきました。管と液体を引き摺りながらよろよろと…そして木製の左手を僕の頬へ添え、一段と低い声で言いました。
「お前のせいだ」
「…ぼ、僕のせいとは?」
「お前を見て、失ったと思っていた我の醜い感情が…悪魔と、この国と、我自身を呪う感情が…解放されたい…楽になりたいといった感情が…奮い立ったのだ。
お前はおかしい。狂っている。
お前は他人の代わりに簡単な復讐をするだけで、英雄になれる。更に、人形から自由な人間にもなれるのだろう…!?
それなのに何故かお前は…折角与えられたその魂の意味を無視し、生みの親の決意と代償をも無駄にし、悪魔の思惑に背くことを選択し、何も無いところへ突き進もうとしているのだぞ!
何になりたいんだ。何を守るつもりなんだ。ありすが好きだから?何ができると言うんだ。
…みどり、やはりお前は悪魔の魂をもつ者。この国にとっての刺客だった。
お前は我を惑わし、この国を終末へ導こうとしている存在なのだぞ!!!」
「はぁ、あなたに何を言われても気にしませんよ。ありすを救えるのなら…自由に恋ができるのなら…僕は傷付いても構わないのです」
王様は僕の言葉を最後まで聞いてくれませんでした。彼は突然、体に繋がっていた管を右手で強引に握り、ブチブチと抜き取ったのです。
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赤、黄、緑、青、黒、白…カラフルな液体が辺りに飛び散り、僕の服を汚しました。王様はよろめき、その場に崩れるように倒れました。僕は思わずその体を支えます。
「なにをするんですか!し、死ぬつもりですか!?」
「げほ、ぐほっ…っ、はははははははははははははははは!!!
解放だ!!!解放だ!!!解放だ!!!解放だ!!!解放だ!!!解放だ!!!解放だ!!!解放だ!!!解放だ!!!解放だ!!!解放だ!!!解放だ!!!
突き進んでみろよ…みどり!!!!!今の状況だと明日の夜だ…この国で大きな反乱が起きるだろう!!!
崩壊する国の中で、お前はどうする?ありすの心を救う…その覚悟はお前をどうする?」
狂ったように叫ぶ王様…。僕は落ち着いて、いや、必死に心を落ち着かせて答えました。
「ど、どうもしませんよ!僕の覚悟は何も変わりません。僕は僕を信じ、ありすの心を救うため突き進む…それだけです。
その先に何も無くてもいいんです。僕はお父さんやあなたと違って、悪魔や他人に踊らされるなんてごめんですから!!」
王様はそれを聞いてニヤリと笑い、僕が肩からさげていた鞄に手を突っ込みました。そしてあの、ラッパの様な形をした魔法の道具を取り出し、天井にむけてかかげました。
押し込まれるボタン。響き渡るあの耳障りのような音。
それは部屋全体を反響し…この部屋にある魔法の道具を…この部屋の全てを壊してしまいました。
バチバチと、火花をあげ、崩れていく…。
「…この国は…終わってしまうのですか!?明日の夜に…本当に?」
…国の人達のヒソヒソ話や、反乱の計画話が頭を過ぎりました。あれが実行されてしまうのですか…。
煙が部屋を満たし、道具の焼けた匂いが漂います。死んだように灰色になった部屋で、ただその現実をながめていました。ふと視線をおろすと王様も僕の腕の中で煙をあげて、動かなくなっていました。
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「ありす!!!」
…僕は我に返り、その体を手放して、慌てて梯子を登りました。ベッドの下に顔を出し、その梯子を足で蹴飛ばしてから、乱暴に扉を閉めました。
ありすは座りこんで、顔をおさえて震えていました。手には、壊れた魔法の道具が握られています…もうありすが操られることはない…しかし、想像もできない恐ろしいことが起きてしまうかもしれない。
僕達はきっと、同じ恐怖を感じている…僕はありすのもとへ駆け寄り、その体を抱きしめました。
「ありす、大丈夫ですか!全部…聞こえていたのですか?」
「…う、ん。…どう、したら、いいの。くにが…」
「僕の声も、僕の覚悟も聞こえていたのでしょう?僕がありすを救います!」
「でも、ありすはおうさま…!ありす、だれのいのちも、うばいたくない!どうすれば、」
「しなくていいのですよ、僕がさせません。あなたはもう王様じゃない、人形でもない、ただのありすです。
誰がなんと言おうと、国がなんだろうと、僕だけはありすの味方です。信じてください」
「ありす、みどりのこと、しんじてる。またあいにきてくれた、それだけでもうれしかった…」
見つめあったありすは泣きそうな顔をしていました。
「…僕にありすを救わせてください…守らせてください、だって、僕にはそれしかないんです!それだけなんです!!!
辛いですか?なら今は…いや、これからもずっと、辛いことは全部、僕のせいにしていてください。全部僕のせいなんです、僕の我儘が悪いんです。
お願いです…ありのまま自分を許して、忘れて、感じてください
…僕にゆだねていてください!!!」
ありすを、奪われてしまうかもしれない…?国民の恨みや怒りを、全て抱えて…?
大丈夫…僕がありすを救うのです。救いたい、救いたい…から、僕を信じてほしい…。しんじて、ほしい…。
心は、ぐしゃぐしゃにした紙のようにかき乱されていました。
ありすを失うことが怖い。
こわくて、たまらないのです。
つよくありたい。
…僕の目からポロポロと涙がこぼれました。
「…なかないで」
ありすは僕の涙を袖でぬぐいました。
「…だいじょうぶ、みどりのきもち、わかってる。
ありす、もう、じぶんのこころを、えらんでる。
さっきの、ことば、うれしかった。
ありす、みどりに、たいせつに、されてる」
「ありす…。今夜は朝まで一緒にいてもいいですか?」
「いっしょじゃなきゃ、やだ。ふたりで、あさひ、みる」
「…今夜、好きにしてもいいですか?」
「ありすも、やさしいみどりのすきにされたい。
すきだから」
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行き場のない感情をありすに押し付けて、真っ白なシーツにありすを押し付けて、見上げるあなたを目に焼き付けました。初めは怖いと思っていたその瞳も、白い肌も、長いまつ毛も今はただただ愛おしく思います。
明日の夜…全てが変わってしまう。
そう思うと…この感情が、この光景が…一瞬の出来事の様に思えてしまいます。
それが憎くて、切なくてたまりませんでした。このまま時間を止めてしまえたらいいのに。でも、きっと、1分を、1秒を、 噛み締めて過ごしているのは、ありすも同じでしょう?
僕はありすに、愛おしさも悲しさも…全ての感情を揺さぶられ、満たされています。それが今生きているということを強く実感させてくれているのです。その実感がありすを守りたい、救いたい、生きていて欲しい!その想いを増幅させて、またひとつ強くなれたようなそんな錯覚をも感じさせるのです。
何も無い僕にあるのは、ありすだけです。
ありすが遠くへいってしまったら…少し触れるだけで小さく喘ぐその可愛らしい声も、いつかは…忘れてしまうのでしょうか。
そんな迷いも不安も振り払うように。ありすの体に刻みつけるように。僕の体に刻みつけるように…。
「ありす、朝になる前に2人でお城を抜け出しますよ。それから、ありすと一緒にやりたいことがあるんです。一緒に丘の上でパンを食べるんです。どうですか?」
「つれてって、とても、たのしみ」
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夜明け前。
「またやりすぎちゃいましたね…僕ったら、ごめんなさい」
「ありすは、きれいだとおもう」
ありすの白い首筋に浮かぶ多数の薄紅色。ありすは元々着ていた豪華な衣装ではなく、白いシャツだけを着ました。僕は灰色のフードつきのローブをありすに着せました。
「あの…これ、ちょっとださいですけど、プレゼントです。これで顔を隠しましょう。誰も、王様が隣を歩いてるかも!だなんて思ったりしていないと思いますし、余程のことがない限り気付かれないと思いますよ」
「ぷれぜんと、うれしい。じゃあ…」
ありすはデスクの方へ歩いていき、小さな緑色の宝石がついた指輪を持ってきました。
「お礼にこれ、あげる。て、だして。」
「ぇえ!なんだかときめいてしまいますね」
左手の薬指にそっとはめられた指輪。
「みどりいろ、にあう。これなら、ほうせきちいさいから、めだたない」
「…嬉しいです、ありがとうございます」
そして、いつも僕が出入口に使っている窓へ行き、僕は先に窓の外へ出て、縁にぶら下がりました。
「ありす、怖いと思いますが、僕と同じ体勢になれますか?おんぶして降ります!」
「おなじたいせい、なれるよ。ぜんぜんこわくない。あしをかけるところをおしえて。ついていく。ありす、からだうごかすの、とくい」
「飛び降りたり、走ったり、結構ハードですよ?うっかり足を滑らしたりしないでくださいね」
「それより、このまど、ちいさい。ひっぱって、でるの、てつだって」
「任せてください、よいしょ何とか…体勢を変えて…さぁ、僕の手を取ってください!」
「うふふ、みどり、おうじさまみたい」
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はぁはぁ…ありすの運動神経は凄まじいものですね。僕よりも重たいその体を軽々と動かし、器用に城壁に足をかけて、飛んで…無事城の外へと脱出できました。
手を取りあい、誰もいない夜道を走りました。パンをとりに僕の家へ立ち寄ってから、お城も国中を見渡せる僕のお気に入りの丘の上へ向かう事にしました。外れにあるそこなら、人気もほとんどないですし…大丈夫でしょう!
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丘の上。2人で1本の木にもたれて座り、夜明けの景色を眺めました。
「つかれた、でもきれい。あさ、どうなる、かな」
「お城では王様がいなくなっていて大混乱、大困惑!異変に気がついた、反乱を企てている人達が夜に計画を実行する…という感じになるのだと思います。僕達はここから高みの見物です」
鳥の鳴き声。少し霧がかかった空気、朝の光。パンを半分ちぎってありすに渡し、少し遠くに見える城を眺めました。
「やわらかい、ぱん」
「ありす好みのパンでしょう?」
(隣に住むおばちゃんに駄々こねた甲斐がありました)
「おいしい…」
城の前に人が集まってきている様子が伺えます。
「…このパンを食べ終えたら…2人で一緒に逃げましょう。
僕達の事なんて誰も知らない遠い遠いところへ」